【イヴ・サンローランへの手紙】 を読みました。とてもせつない。ひどくせつないのです。死を思えば、やはりそう考えずにいられない。
訳者の意図もあり恐らく原文を損なわないようにしているのでしょう。かなりコッテリした文面で、もうちょっと「気持ち」を意訳してくれても!という贅沢を言いたくなりますが、逆にそれが良いのかも。恋人に残されたとある人物を、冬の日だまりのなかただ見つめるような寂寥感があります。皮肉めいたところも数多いのですが、文体のせいかあまり悪く言ってるように見えなかったりする。お下品な私だったらたぶん「僕らってシャネルが嫌いなオカマの勘定に入ってたのかな?」と考える前に言っちゃうとこだと思いますが

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著者:ピエール・ベルジェは故イブ・サンローランの恋人であり、ビジネスパートナーでもあった。この本は恋人に先立たれたピエールがイブの死後、彼に綴った日記であり手紙なのです。
まず私は驚きました。
YSL ってそっちなの??へぇ〜
ファッション専修学校中退かつ性癖としては当事者であるにも関わらず、私め出自が生粋じゃないせいか私の目ん玉ビー玉&節穴ぶりといったらナイ(※
過去参考)。我ながら驚くぜ。そういえば学生時代
カンサ×はゲイだろ、って思ってたら妻子アリと聞いてやはり同じように驚いたことを思い出しました。むしろ100%言い当てる私のノンケの友人は立派ですが、これはこれで目ん玉にうつるもモノ全部そうみえる色眼鏡じゃないかと思えますが。
誤謬を恐れずにいえば私が相方との関係を戸籍を整えるまでに至ったのは、2人ともに死を想うことが一般よりは身近だという共通項に起因していると思います。正味の話、身内だという認証がないと有事に駆けつける、見守るといったごく当たり前のことも社会的には不寛容だというのが現実だと思うんです(個々がどう思うかは置いておいて)。一般的な婚姻は人生の帰結って契約の先に緒にいるなら看取るというポジティヴの延長線上ですが、私たちのの契約は帰結のために婚姻すべえというネガティヴから下ろした線上にあるのかとも思います。頼れる親とかも無いので余計に自分たちで完結するために考えちゃうわけです。当然ヒトの子なのでそれなりに考えるとこはあるんですが。
ある日この感覚のまま普通に他の人に尋ねたらですね、殆どのひとが自分や家族が死ぬことって
つるっと考えてなかったりする
のでちょっと驚きました。この不可侵はタブーだから!という強い観念があるようで、死=禁忌をあらわす非礼であると感じる方が多いようです。
色々有るんだ、と初めて思いました。私にとっては死に触れないことは気遣い&優しさなのか?と疑問ですが、究極に支えあうという同じ価値観で生きている人にとっては信心なども含めそういう受け身の結果を選ぶこともあるのだろう、と。
ピエール・ベルジェはイブ・サンローランの引退後、彼を看取るまで暮らしを共にします。ドラッグやアルコールに溺れていたらしいイブ・サンローランは死の間際過食にこだわりストイックに維持した自らの肉体を太らせたらしい。かなりヒステリックでもあったようです。
紆余曲折あった2人も、何だか人生をまとめるのは君らしい、という純粋な「暗黙の了解」があり、そしてイブが召されたあとも暮らしの端々に純粋が君がいなくて「寂しい」と気付く彼の想いがただ、せつないばかりです。2人の距離は恋人が召されるタイムリミットを知り、初めて近づいて行くものがあったのではないかと。
ああ、いないんだ、と思った時、家族でも愛しい相手でもペットでも。命がそこにあった限り寂しいと思う。根拠のない世界ですら、約束はなくともまた会いたいと願う。たとえ誰であっても、2人の人間の隅々まで理解しあえたり許容しあうことは、とても大変な覚悟の必要なことだと思う。私たちはそれを想ってから、選んだということになっています(笑)。
受ける印象とは全く逆に、どうやら子供っぽいイブとピエール・ベルジェ。2人はかなり遅くなってから
PACS 契約をしている様子(パクスは1999年施行、イブが引退したのが2002年。2008年没。)。これを正解だと思ってるよ、と聞き驚くピエール。なかなかに振り回されて来たのでしょうし、そうしたことにいちいち付き合ってもいられなかったでしょう。仕事のパートナーでもあるので距離の取り方というのは2人にしか分からないものがあると思います。
で、読み応えとしては各所のこの本へのレビュー。各人の恋愛観が丸見えで読んでて大変たのしい。つまり私の感想もその一部ですから、割と純愛らしいと見える印象もあるでしょう。レビューをいろいろまさぐってみてください。自分で立っているひとと、他人に依存しているひとと、恋愛って実際はどちらも選びようがあると思うんですが、ああ、(私を含め)人間はひとっところからナカナカ動かないまま色々求めているらしいという微笑も浮かぶはず。