ドストエフスキー【罪と罰】を読みました。
ドストエフスキーの【罪と罰】を読みました。

今年の目標のひとつには


読書感想文のテーマに選ばれそうな有名な本を読む


です。【罪と罰】のタイトルが出て来た記憶をさかのぼると学生時代の「歴史の時間」だったせいか、【罪と罰】はいかにも成熟した大人の読む重厚な物語である、というイメージを持っていましたし、同じ頃鼻持ちならない知人が「僕はドストエスエフスキーを読んだよ」(←名前間違っているぞ、と思ったが放置した)と自慢していたことからも、恐らく多くの方は同様の印象を受けているのではないでしょうか。

結論:逆。二十歳前後が望ましいかと感じた。



主人公と年が変わらないぐらいの人には「面白く」読めるかも。
と、いうわけでご親戚の成人式のお祝いには『万年筆+【罪と罰】』のセットで煙たがられるオトナを演出。


主人公のチュウニ(中2)コフは若者らしいヘリクツビッチ、ギロン(議論)星人でさわるもの皆カッパ黄桜ロンパッパ(論破っぱ)。友達1人しかいない子ちゃんだけど、俺って頭いいし特別な人間だからこれはのちに善行になるはずじゃん?というわけで金貸しの婆さんプラス1を桃太郎の桃よろしく斧でドッコイショ!
でも、頭のいい自分のなかでつじつまが合わなくなったので自首しますた。

※主人公の名前はラスコーリニコフ(ロジオン・ロマーヌチ・ラスコーリニコフかつあだ名はロージャ)というツボに入ると覚えづらい名前です。

私は目の前にある本をただ読むだけなので、執筆された時代の背景も考慮せねばならんとかそういう本に無い情報はいっさいヌキです。

人を殺してはいけないというのに、過去の英雄たちの殺戮は誉れと称えられる矛盾。

主人公は自分の犯した殺人と、この「なぜ?」に頭を悩ませた結果、自身もまたそれまで批判してきた”価値の無い人間”の一面を持つこと=自分は英雄になれない=つまり善行と呼ばれない確定→自首を決意します。

読後に色々調べてみると、清らかな心を持つ売春婦ソーネチカの献身に主人公は心が変わって行くといった話もあったのですが、申し訳ないけれど私にはそういう印象はありませんでした。
自首後に収監された時点では主人公はまだ罪としてさほど悔やんでいないようで、上記の自首も単に自尊心のためのもよう。収監後絶望にふけっているのは、罪の意識にさいなまれているわけではなく、自尊心の置き場がないためのようなのです。だからこそ主人公は生きることとの折り合いがつかず絶望しているのですが、最終的にソーネチカと相思相愛じゃん!ということに気づくとラスト2ページぐらいでいきなり

舞い上がりまくり


出所後の新生活がんばるぞー!俺生きるぞー!ワーイ!
という割とおおざっぱな終わり方をしておりまして、なんだよそりゃあ!?というウオトカの切れ味です。じゃあお前の「なぜ」はどーなったんじゃ?!ということなのですが、主人公とソーネチか、舞い上がりすぎてこれから背負うものこそが罰なのだということは今は気づいてないみたいねー?という締めくくり(2行ぐらい)。マジかよ!

ここに来るまでに1,000ページ弱を読み歩んでこなくてはなりません。
ほら、何だか二十歳前後までだよね、という気になるでしょ?
思いのほか、軽い物語でした。015.gif

・主人公が殺人を犯して逃げる
・妹ドゥーネチカが乱暴されそうなくだり
・ポルフィーリィが持論を展開、自首をすすめる

あたりの描写は淡々としているのですが、かなり引き込まれます。特に殺人のくだりは行動描写は殆どないのですが、主人公の浮ついた緊張感と臨場感が伝わってきて秀逸だと思いました。
あっ!そういえばポルフィーリィが証拠があるのだ、と言ったのに触れてないまま終わってるぞ?!
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by jaguarmen_99 | 2010-01-13 10:41 | 世界遺産的マンガ&BOOKS | Comments(4)
Commented by bluegene at 2010-01-13 22:14 x
『罪と罰』はポルフィーリーがラスコリニコフを追い詰めていくくだりを楽しむヒッチコック的サスペンス小説という見方がわかりやすいんではないかと。

ラスコリニコフはニーチェの超人思想の類にカブれて殺人を犯しますが、ポルフィーリーは彼がそれに持ちこたえられないことを見抜いていて、ぢわぢわといやらしくラスコリニコフを絡めとるところが見ものなのですよー。

あと、ラスコリニコフが頭の中で考えていた殺人が実際とはかけ離れていたことが象徴的。ドスト氏は殺人というのがほかの犯罪とはまったく異なる性質のものであると考えていたのですね。そして殺人をなんのためらいも後悔もなく犯せる存在として描かれていたのがスヴィドリガイロフで、これは『悪霊』のスタヴローギンという登場人物につながります。

ドスト氏の小説は主人公以外の脇役がメインプロットとまるで関係のないサブプロットですったもんだするのでわかりにくいらしいですが、私はそういうとこが好きなんですよね。そのせいか何度読んでも新鮮な発見があるのです。もっとも『罪と罰』はしばらく読んでない。久しぶりに読んでみようかな~。
Commented by jaguarmen_99 at 2010-01-15 09:43
■bluegeneさま
さすが読書家!
> ぢわぢわといやらしくラスコリニコフを絡めとるところが見もの
これがですね、論文を探してきてポルポルがねちっこく始めたあたりから、予備知識の無いまま読んでいる私は「きっとだましあいが始まるに違い無い!」と思い込んでいたのですが、ラスコリニコフったら「証拠などあるのですか?」なんてグダグダビッチ2時間サスペンなんだものー!( ;∀;)
> ドスト氏は殺人というのがほかの犯罪とはまったく異なる性質のものであると考えていた
なるほど、それを語らせたかったというわけかー。
私にとっては人を殺せば自分を殺すという共通運命みたいな要因があるせいかな、と分析しているのですが
> 『悪霊』のスタヴローギンという登場人物
逆の人物も描くのですね。こっちもチャレンジしてみよう。
> 久しぶりに読んでみようかな~。
本当に感服いたします。私はマンガじゃないなら同じ本を二度読む気にならないタイプなのです。が、罪と罰は文章の裏にわくわくと想像させる緊張感があって、案外小説って面白いんだなと初めて思わせてくれました。食わず嫌いが治るかも。
Commented by bluegene at 2010-01-15 10:16 x
私は好きな小説は繰り返し読むんですよ。昔馴染みに会いに行く感じ?友達のいないさびしい人みたいだな(´・ω・`)

ドスト氏の長編はいろんなサブプロットが平行して進みつつ、終盤のカタストロフィに向かって収束してくイメージがあります。それが一番現れてるのが『悪霊』かなあ。

どの小説も登場人物がやたらと饒舌なので、全体の印象が演劇的なんですよね。頻繁に映画化されるのはそのせいでしょうかね。実際に発話すると小説内の時間の経過と一致するくらいの話量なんだと聞いたことがあります。
Commented by jaguarmen_99 at 2010-01-15 22:20
■bluegeneさま
> 昔馴染みに会いに行く感じ?
ほお、これは言い得て妙ですが感じうるものがあります。そうか、それぞれにちゃんと思い入れがあるから、なんですよね。
> 『悪霊』かなあ。
早速図書館で探してみます。買わないで済むものは買わないことにしましたw
> 小説内の時間の経過と一致するくらいの話量
これ、言われると納得いく文章量だったなぁ〜。
だとすると「ヴィ×ンの妻」の映画化って逆にスゴイ?
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