ハート・ロッカーを観ました。(うっかり見落としがちですがスクロールすると一番右肩にskipボタンがあります。隠れるように出来ている。)
映画を観に行きましたよ、と時折記事にする私ですが正味の話、映画ファンでも何でもないワケでして「観たい!」と思って観ている映画って記事にしている映画の1/4ぐらい。ローカル映画館の会員になっておりまして、会員権を更新する+誕生月にココが期限つきの無料招待券をくれるんですね。すると映画ファンじゃないけれどタダのものは何としてでも有効活用という根性が勝り→
何の思い入れも予備知識もないけれどムリヤリその月の映画を選んで観に行くのです。
が、これは悪くは無い。繰り返したことで映画ファンではないけれど、強制的にでも足を運ぶことで時に映画は楽しい発見があるのだと学ぶことができました。
前回の【プレシャス】はローカル映画館は席が足りずにパイプイスを並べたあげく、上演時間を大幅に遅れてくれたんですがそれはまぁ、注目度は高かろうという感情の相殺はあった。が、今回はホントに何も知りません。誰がこんな戦争モノ2時間強も観るんだろ、という気分。
結論:
席で尻さえしびれなければ目を離せない
極めて「ハリウッド」な感触です。常に変化し続ける緊張感という点においてはグイグイ引き込まれ、下手な人間描写も主張もないだけに無責任に緊張感だけに感情を置けます。映画というエンターテイメントとしてかなり完成度が高い。刺激の連続なので「あっという間だった」という印象もでした。そして
賞とったんだ、っていうことを
観た後に知りました
たしかに。2時間強目が離せなかったから(想定イラ×兵の緊張感もある。登場人物は生きるか死ぬかしか選択肢が無いといっていい)大変な作品だと思う。そういう意味では面白い。
ただ、私は映画ファンじゃないから、映画って何かしらメッセージがあるのかなと思っていた。ぜんぶそれなりに
以前観た羅生門みたいなメッセージがあって表現をするのだと思っていたんですが・・・。
じゃあ、この監督さんの次回作を観たいですか?と言われたら映画ファンじゃない私は間違いなくローカルに落ちないなら観ません、と言うはずです。観たけれど、やっぱり思い入れは沸かない。
あくまで私見ですが、私自身沖縄関連の映画がやたら生まれる昨今ですが観る価値を感じていません。
ここらで覚悟が決まった。目に映るモノの切り売りだけではない表現が欲しい。お金がたいそうかかることはぜひちゃんと考えを乗っけて、対象がしぼまないようにして欲しい。
キャッチコピーは「彼らは数えきれない命を救う。たった一つの命を賭けてー」ですが描かれている主人公は逆にこうした極限下での強烈な存在意義に魅せられており、この視点には何の責任もないというエンターテイメント性が漂う気がします。つまり切り売りです。眺めるだけなら極限に面白い。だが、何も残らない。あの登場人物がどうこう、という話ぐらいしか残らない。それがたいそうハリウッドな印象を与えてくれました。
楽しいだけでは人は育たん、と思っているのですが。
いや、そもそも、人は育つことを考えているのだろうか?
自分の真実を得ようと誰もが考えているだろうか?
そう考えると得たものはあるのかな。たぶん。
テレビで眺めているぶんには大変面白い映画だと思います。