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【山之口貘詩全集】を読みました。
ふたつ余計な話をいたします。
まずひとーつ。

私の人生でお二人ほどに「オ×キユ×カ」ファンにお会いしたことがあります。両者には既に故人である彼の素晴らしさを延々と語られましたが啓蒙には至りませんでした。私からするとすごい温度差を感じるのですが、彼らは私を折伏できると信じて疑わないワケでして、そのピュアが分からないのはクズだ、みたいな挑発を頂戴しましたので、「ああ、確か庭ですっぽんぽんで死んでたんだよね。」(私は当時ちょうど新聞社の集稿というアルバイトをしており、まさにオザ×の訃報が速報で入った刹那、ちょうど芸能部のあたりをうろついていて「庭で全裸で倒れていた」という第一報を聞いた。真偽のほどは「さあ?」)と応えましたところ予定通り火がつきました。相手には自分が挑発をしたという自覚すらない温度差よ。

ふたぁつ!
私の生まれ故郷にはダザイオサムとモリオウガイの墓があってさらにさらに!ダザイが入水自殺をとげた「ご当地」でもあることから義務教育の夏休みの読書感想文指定にはよくダザイ作品が候補にあがりました。先頃「ヴィヨンの妻」が映画化されたとかで平積みされているダザイ本を見ると立ち読みできる短編。立ち読みしてしまいましたが「アレ?コンナモン?」自分が特別に感じ得ていたダザイの縁は、知りもせずの過大評価だったな、とここでふつと切れていくわけです(表現を生業(なりわい)とすれば全体では玉石混淆あるが必然だと思うが、今まで疑わなかった)。その昔、ダザイの素晴らしさを延々と語ってくれたお友達を思いだしました。交友は次第に薄らぎましたが、そりゃなぁ。当時でも温度差感じてたからなぁ。

私が怪訝に感じるのは、恐らくニッチなナルシズムなのだろうと思います。
さあて、詩人とは自立するナルシズムなのかもしれないね、と改めて考えたりいたします。

【山之口貘詩全集】を読みました。

沖縄県民のなかでは当然彼を評価する方のほうが多く(つまり同郷だというだけで70%ぐらいは)さて私も彼の「たぬき」ほか2つほどが好きなのでダザイ作品のようにそうなのかと盲従しておりましたが。

全集を初めて読んで、詩人:山之口貘という人物像にどこか「醒めて」いくのです。以前に中原中也にも「醒め」たと同じような。「たぬき」は掲載されておりませんでしたが、バクさんのむきだしの生々しい感情、それは理解できるんだけれど、あれれ?世界観が狭いような。価値を疑い、抗う俺なのだ!と息巻いてみても実際には自身が保守そのものにも見える。こいつぁ慧眼だ!とスカッ!とするような切り口が無いという印象を受けて、ああ県民なのに私の理解は消える炭火のように埋もれていくのであるよ。冷えて行く私とそれは温度差が広がるばかり。非常にピュアなのですが、それもアカ寄り思想に支えられていることも正直否めない。

表現者というのはたぶん、そのつどに改めて理論を問わせない「絶対評価」の求道なのでしょう。繰り返すが全体からみれば玉石混淆、エジソンと同じです。当然失敗のほうが多い。だから私は相対評価であの人物は全てスバラシイ!とやられると強い違和感を感じるのでしょう。ああそうか、それが温度差だったんだ。オザキ×タカもダザイオ×ムも。

詩は瑞々しいむきだしの感情とすれば当然理解できるヤツはトモダチの数に比例するのかな。そう考えればトモダチのひどく少ない私には理解できそうなところなのですが、なぜかそうもいかないのもまた寂しい。

この本には彼のエッセイも掲載されていましたが、心外に凡庸な気もしたので余計にショック。当人言うところの本当に詩人としてしか生きられない、良くも悪くも「ニート」っぽい印象なのです。全体としてこの詩人さんどうなの?と言われると、相対を求められるので、個人的にはウー・・・・・008.gifそもそも生の感情しか表現できないな人物なら、相対で評価することこそ失礼なのかな。でも詩人とつきあうにはそれ以前に相対での評価が前提で・・・と堂々巡り。なるほど表現者の立場があやふやなのは相対的評価の延長線上に絶対的カリスマを発揮するという矛盾なのね。

山之口貘は還暦を過ぎたあたりで病に犯され世を去ります。
どちらかと言えば衣食足ってからの彼の表現が見たかったな、という印象。
感じた事に嘘をつかないタイプなので、人生の軸が変わって行くさまも表現してくれただろうに。
by jaguarmen_99 | 2010-11-02 20:54 | 世界遺産的マンガ&BOOKS
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