先日「ジュンク堂」に参りましたら【グルメコミックフェア】と題し、フツーに
極道めしが平積みされてるのには驚きました。グルメマンガの華々しい金字塔なんて他にも色々あろうにわざわざこちら側を狙うのか。そしてこれもその中に並んだ一冊。
【食の軍師】 を読みました。
・・・・えっ?えっっ??皆思うよね?こういうの。いっっちばん身近なとこで「外食の時、おしんこをどのタイミングで食べる?」っていう・・・・。「弁当に入っていた好物をどのタイミングで」とか。毎食にこんな計画って沸いて来ません?そう、人は毎食のメシにあたり軍師なのですよ。個人的にはこのマンガの巻末あたりにある力石君のひとこと
茶碗蒸しを喰うタイミングがわからない
にエールを送りたい。うん、そうなんだよね!アレ、飲み助さんにとってはタイミングを図りづらいんだよね。
私の家はまさしく昭和の貧乏でしたが堅実な父のおかげなのか割と定期的(数ヶ月に1度)に外食をさせてくれた。隣駅(となりえき)のデパートの今でいえばグルメ街と呼ばれるフロアの「てんぷら屋」で揃って定食を食べた。母の天ぷらは厚ぼったい。華開くような衣の天ぷらと天つゆというお上品なスタイル。幼心に至上の幸福だと思いました。下戸の母はいつも茶碗蒸しをデザート代わりにしていて「好きだから最後に食べたい」と残していた。過去形なのに理由があって、その同じ母は今も健在だが別に茶碗蒸しは好きじゃないよ、とハッキリ言い切ったシチュエーションが過日あったわけでして。これは彼女の再婚のせいでしょうか?人に気遣えと徹底的にしつけたのはこの人だった気がするんですが。
さて、私は成長する過程において、何となーく母に倣い茶碗蒸しをずっとデザート的位置に置いていました。が、オトナになってよりのある日→呑んでる最中に喰うもんじゃないよな、と思ったら呪縛が解けて我に返る。茶碗蒸しは淡い味わいの料理。けれど最初から並べて出されると手始めに!と言えないハッキリしないボリュームがありません?同じ根拠で蕎麦屋に行って待ってる間に出されるそば茶っていらねーよ、って思いません?(一口目のそばの淡い香りへの感動が消し飛んでしまう)
あげつらうとキリがないんだけど、私は卵が大好きなので→茶碗蒸しも美味しくいただけるタイミングに関して熟考した。そして・・・
だめ。わかんね。
こうして食卓とは存外にして自我や背景を丸裸にするものであり常に人生を表現する場でもあるのですよ(大げさ)!かの
ブリア・サバランもそう言ったとか言わないとか。ちなみに私、トンカツは右端から順に行く保守派。衣が勝つ端を熱々のうちに喰いたい。順番に肉の気分を盛り上げ、最後から2番目にソースしみしみ左端、左端から2番目を一番最後に。
慣れた方なら
久住昌之はいつもこの調子だものとおっしゃるかも。しかし私は出身小学校が同じというひいき目とか(つまり無意味なんだが)横山光輝の「三国志」における軍師:
諸葛亮孔明の際立ったキャラ立ちに深い印象を得ていればツッコミの共感は間違いなくある。
作中、食の策士:孔明もとい本郷くんはなぜかしょっちゅう会うリキイシ君を一方的にライバル視しています。一見、本郷君はかなりのお洒落上級者で(アパートは家賃安そうだけど)出張も多そうだし、で彼はバイヤーなんじゃないの?リキイシ君はフリーライターとかじゃないの?というネット上の勘ぐりも合点が行っちゃう。学生だったら歩み寄らないだろう2人が、食を介して何となく仲がいい。2人ともマズギョーザに騙されてみたり。だいたいマンガにあるようにヤツは俺のライバルだぁ!なんての、そうそう無いでしょ?そこまで真っ向から対峙できるんだったら愛も沸くわな。なのでこの2人、オトナの可愛らしい付き合い方だなぁとほほえましく笑ってしまいます。「蕎麦屋で満腹コースかい?」こういうライバル、清々しくていいよなぁww
ハタからみると余計なお世話なんだけど。