【おとりよせ王子飯田好実】を読みました。
ンー・・・・。
ごめんなさい、私はたぶんこのマンガの本来のターゲット層に入ってないからなのでしょう。加工品のお取り寄せなどしない + Twitter とか共感できない細かい疎外感以前に、物語に入り込めませんでした。
物語の展開が女子の求める草食系の王子=現実から乖離した青年が主人公で、世界観がすべてコレなので→ 登場する人間たちにびっくりするほど生気とか魅力がありません。マンガを通して人が生きてる感触が無かったというか…。デキの悪いBLを手にしてしまった=理解しがたい性の妄想をまくしたてられたような=時の苦さに似ている。
主人公:飯田好実クンは殆どの日は残業に費やす超不規則生活が約束された SE 。ちょこっとコミュ障なとこがあり現実の人間とのコミュは不得手ですが、食ってはツィート、しかしネットではやたらに饒舌です(容姿はイイが、基本ヲタ系自己完結派という設定)。毎週水曜日、会社が設定した「ノー残業デー」に合わせ全国各地のお取り寄せを夕刻指定で届け、独りで楽しむ!これが彼の至上の悦びなのでした。
1膳ごとにツィートしながら食うのって旨いのか?せっかくだから集中してはいかがか、と思うんだが
とにかくこれが極まった「ぼっち飯」であることは確かです。「ぼっち」とはどこまで行けるのでしょう?ロックフェスぼっちで行って踊れるのって猛烈に高いモチベーション感じるなぁ。独りにしてくれ、と後ずさりしながら社会の接点を誰より強く求めてるようなバランスが「ぼっち」なんだろうか?時代遅れの私には分からない。今ってこんな感じなんですか?
そしてもしかしたら、と思ってAmazonレビュー見たらやっぱりまたか!
多くの人は大変好意的な評価です。
既視感ばりばりだよ。
ここが温度差のキモなんですが、私を筆頭にマンガが好きな人ってそのなかにマンガとして背景の表現を求めちゃうから作品としてどうだろう?と考えがち。だから「いつかティファニーで朝食を」は同じく消費オンリーの世界ではこのマンガと同じなんだけど、人間もようを描こうとしている部分があるから作品としては読めちゃった、ってことなのね。コレは立ち位置同じだけど対極にあるマンガです。ただ、マンガを読む人の大半はそういう視点じゃなく、情報源としてのマンガ=もっと消費的な視点なのかもしれない。
君は村上春樹を読むか?みたいな温度差があるのでしょう。私は読んだことないし手に取る予定もまったくございません。
ちなみに私の「ぼっち飯」はもっと貧乏臭い飯(魚の煮汁でごはん食うとか)です。
恥ずかしくてつぶやく気にもなれません。でも美味しいよ?