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マンガ読んでます【あしたのジョー:うどんといったらマンモス西】
名作

あしたのジョー/ちばてつや



ちなみにちばてつや氏は現在文星芸大で講師をされておられるとのこと。←リンク先マンガは過去にご紹介したことがあるコノヒトです。昔、下ネタミクロイドSみたいなの描いてた覚えがあるんですが、多彩なモノマネマンガ家さんとして出世してるなぁ(笑)。上記リンク先では田中氏も「あしたのジョーは青春のバイブルだった」と書かれております。当時青春のバイブルだったのは当然良いとしても、年を重ねた今もなおバイブルにしている人は結構少なくはないかもしれなくて。ググると暑苦しい熱く狂おしい礼賛〜サブタイトル:俺の青春回顧録〜がたくさん混じってきます(そして想像つくと思うけど長文)が、同じマンガを読んだ結果としても「ジョー=自分として読んでいた」人と「マンガが好きでジョーが出ているそれを読んだ」とに温度差が生まれるのは必然です。この感覚のズレは世代にも一因があり前者から見れば私のような後者はずいぶん醒めて見えるかもしれません。よって私はマンガを消化した自分自身ではなく作品や作家さんに自分の感想をつけたいと思います。

さて、私にとって名作【あしたのジョー】を迎えて何を考えるかといえば、やはり

【うどんといったらマンモス西】

にほかなりません。むしろジョーは分かりやす過ぎていまさら知りたいこともなし。恐ろしいことに「うどん マンモス西」でググると結構アタるのですが、別にマンモス西がうどんを発明したわけでもなく、前人未到のうどん記録を立てたわけでもなく、うどんチェーンの名物社長なわけでもなく。
ただぶざまに鼻からうどんを出して地べたに転がっただけです。それなのにキュリー夫人といったらラジウム的に昇華されたまとめイメージがあります。マンモス西って誰?という方もおられると思うので、あらすじをちょいとまとめます。

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悪行ばかりの孤児、主人公:矢吹丈(やぶきじょう)は元ボクサーの丹下段平(たんげだんぺい)に才能を見初められるも鑑別所入り。ここで出会った力石徹(りきいしとおる)に凹まされ、ライバル心からボクシング(作中では拳闘とよぶ)に人生を賭けて、不器用ながらも自らが”燃え尽きるまで”ボクサーとして生命を燃やし続けます(※これについては次回)。

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このジョーが鑑別所(=少年院ね)入りしたとき、同室の長としてジョーにいじめをしかけ、返り討ちに合うのが西寛一(にしかんいち)くん。のちのちジョーと微妙な主従関係をもちつつ生涯の友となります。出所後も西はジョーと同じく丹下のもとでボクサーに。その西寛一くんのリングネームがマンモス西なのです。

さて、このマンモス西、試合前の減量苦に耐えかね、夜ごと屋台のうどんをすすっている事が、あとをつけてきたジョーにバレてベアナックルでぶん殴られてしまいます。ここです!鼻からうどんをふきだしながら、自分をダメな男なんだと泣いて卑下するシーンがあり、このシーンが強烈すぎて人生でたった1度かもしれないのにマンモス西=うどんに関係があると定着してしまいました!ハッキリ言ってこの当時の西がボクサーとしてちょいと意思が弱かっただけで、その後心を入れ替えて別人のように頑張っているシーンもあるのですがなぜか西=うどん=ヘタレというイメージが固定化してしまっています。うどんには何の罪もありません。ちょっとワルから更正すると素晴らしい善人に見えるマジックが、なぜか西には適用されてしかるべきなのにありません。

私は昭和な東京生まれのせいか食生活といったらうどんにはあまり縁がなく(うまいうどんなんてまず無かったと思います)蕎麦ッ食いとして育ちました。庶民の口に入るうどんといえば、出前OKという店が適当に出すよ、というレベルだったはず。もちろん決して旨くはなかったので、ヘタレの西があんなに太い麺を鼻から出すなんてフィクションだと私の気持ち的にも誤解が深まりました。

マンガ読んでます【あしたのジョー:うどんといったらマンモス西】_b0046213_9463175.jpg「見たくなかったぜ!」とブン殴られ、腹のなかみをブチまける。これで終わりと思いきや、こののちマンガ全編にわたり終生このことをジョーに皮肉を言われ続けることに。かわいそうな西。ジョーにとっても印象が強過ぎたのか。


ライバルの力石を自らの手で失い放心のジョー(次回で説明)。友としての想いからマンモス西はいまこそ前を向くべきだと諭す → やはり過去を持ち出され
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「うどん野郎」と造語で罵られてまでまた殴られる始末(このあともんどりうって土手を転がるという泣きっ面に蜂)!どこか怨みとも受け取れるジョーの執拗な態度にはにスポーツマンらしさなど皆無。ジョーが怒ったのは本当は自分もうどんを食べたかったからなのか?もう一度言いますがうどん自身には全く罪はありません。うどん=西=ヘタレがイコールで結ばれたのがこの瞬間だとしたら、間違いなくジョーの逆恨みとステマのせいなんです。西は悪くないんだヨ!

しかしあんまりにも、うどんドンドコ責め続けられたせいか
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自虐も始まった西。自分でも言っちゃったヨ!本当は西だって結構イイトコまで行ってるんだぜ!
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しつこい!防戦いっぽうだがやはり、うどんトラッシュも決して忘れないジョー。黒歴史をほじくるのは、もう許したげてと思いつつ笑ってしまうな、コレ(つд・)。

奉公先の林屋での昼食にうどんを喰らう西!うどんが出てくる「西のうどん」ラストシーン、ここで衝撃の真実が!
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うどんは西の好物だった!


記憶違いかもしれないけど、問題の「鼻からうどん事件」のシーンも含め全編通してもじつは西はうどんが好物だ、という設定は具体的に記述が無かったように思います。屋台の親父に出て来たうどんに口上を述べてますが、じつは屋台でジョーに殴られたときも「たまらん」とは言ってもそれが好物だとは言っていません。しかしジムに適当な距離の屋台だから誘惑に負けたメニューがうどんだった、ではなく → うどん屋台が適当な距離だから大喜びで行きました、では…あぁ、そう…やっぱりアレうどんが好きだったからなんだ、と何故か西にがっかりする気持ちが。いや、西を後押ししてあげたかったはずなんだけど!いずれにせよ、とうとう安心してうどんをすすることができた西。おめでとう!むしろちばてつや御大はなんでこんなシーンでいちいち好物だろ、などと余計な情報を入れるのか。連載当時でもうどんと西を結びつけるむきがあったのか?

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鼻からこの太麺さえ出していなければ平成の世で「うどん県」でのはたらきも大いに期待できたのかもしれません。私もネギでむせってラーメンの切れっ端を鼻から出したことがあります。まあ、西をかばってはみたものの、私もマンガみたいなこと起きるんだな」「これ以上の太麺は出せんわ…」と苦笑いしたので西を擁護しつつ西ヘイトというマッチポンプ。

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さて、鑑別所で出会った当初は牢名主みたいな雰囲気だった西なのですが、ジョーと行動を共にするあたりから弱気でヘタレ、デブのいいとこなしみたいな逆転描写になってしまいました。その先の「鼻からうどん事件」だったため、マンガ読者もアニメ視聴者も、ついその鼻から出しづらい太い麺類という強い印象にイメージが固定してしまいましたけれど、よくよく見直すと西は作中では決して負け組ではなくむしろ人生の勝者であり、他者をはねつけてまでリングに己のみの勝利を見つけるジョーが世間と乖離していくようすとは非常に対比的に描かれてる人物です。

ヘタレイメージ先行なマンモス西なのですが、物語全体からでは決してそうではありません。昭和の時代に世間では鑑別所あがりというハンデがあったものの、林屋という理解ある商店に奉公先を見つけ粉骨砕身、そしてその人柄から(これはマンガよりアニメで強く描写されています)林屋の取引を増やし事業を拡大させるまでに至り、最終的には店主の絶大な信頼と店主の娘:紀子の心を射止めることになります。

マンモス西はボクサーとしては大成できませんでしたが、奥手な彼の想いを知りつつジョーに想いを寄せていた紀子はある日を機にとうとうジョーを諦めて西に天秤を振ります。これについては紀子が西を悪くは思っていないという具体的な描写がなく、作中ではある日そうなっていた、ということになっています。昔読んだときは紀子の浮ついた印象も受けましたが、今読めば紀子は当時の適齢期です。ジョーがストイックを完結するにはワガママという称号は間違いなくついてまわります。ワガママともストイックとも言えるジョーの気質を鑑みると、もし一緒になっても彼女は犠牲になるよりほか考えられません。オトナになろうという紀子がジョーを諦め西を選んでも、いまの私にはそれが十二分に理解できるところです。

ちばてつや氏がスゴい描写だ!と思わせるのは特にこの作品ってば、女性って林紀子と白木葉子と、ちびっこのサチ(小学校低学年ぐらい)この3人しか出てないので→ 実質主人公と絡んでくるのは葉子と紀子の2人だけ。なのに、林紀子がジョーを諦め西とくっついてかららしい経緯の描写が強烈です。久しぶりにジムに現れジョーの東洋チャンプの偉業をたたえる西の横に別人のような紀子。丹下段平は「紀ちゃんなのか?」と見まごうほど。この間合いが何とも言えません。おそらく”おんな”になって人生を決めたと思われる紀子。これを1コマで描ききれるのってスゴクネ?!結婚式での西との表情が対照的過ぎます。

青春の季節にあっという間に艶っぽくなって輝き始める。そんな言葉にできない思い出の風景が一瞬として切り取られてマンガになっている。冒頭リンクしたように、御大のデッサンの賜物なのではないでしょうか。さらに!だ。

さらに結婚式での紀子の手は西のタキシードの袖に隠れ手先しか見えないのですが、西の腕の太さを鑑みると上向きになっている紀子の手先には相手にきちんと手をまわしていることが分かります。紀子の覚悟がよく見てとれるところ。

若い頃に読んだ時分には感じ得ませんでしたが、トシを重ねるとなぜか人の気持ちを慮るようになる部分がございまして、そういう私としては梶原一騎(※高森朝雄とか朝樹とか同一人物)原作のマンガは数作読みましたが、原作者を超えマンガの作者らしさをきっちり残したのは【あしたのジョー】のちばてつや御大だけだったのではないかと感じます。他のってマンガというよりビジネス臭がとても強いのです。西を筆頭にキャラクターが全て相対的な輪郭から背景を描き分けられている。この意味合いからもこの作品は非常に希有な部分があり、名作と呼べるのではないでしょうか。正直原作者の力ではなく、こればかりは作家さんの力ではないかと思っています。
by jaguarmen_99 | 2015-05-01 21:02 | 世界遺産的マンガ&BOOKS
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