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良かれと思えば悪気がないのだから許しておやり。
良かれと思って、と言う人とあの人は悪気は無いんだよ、と言う人と根底が同種だと思う。これを言う人は大抵そのあとにくる述語をケムに巻くんだけど、本来はこうだろうと思う。
良かれとおもってしたことなんだから→私には罪はない。そんなに怒るのは狭量だよね。
あの人は悪気はないんだよ→だからあなたは心を広く持ってあの人を許さないといけないね。私には関係のないことだがアドバイスだよ。
まあ、心が狭いとか広いとか私がつけたキャプションだけども(笑)おおかた間違っていないと思う。
そんな事がここのところ続きまして、疲れています。Passive agressive 同時多発で炸裂。結論をケムに巻いて物を言う人たちは最終的に受け取るお前次第だからな、という責任転嫁をさりげなく行う。それはありがた迷惑だ、と私が言うと自分には非がないという言い訳を延々続けたうえに私の言葉尻を取って粗探しをしてくれる。私は誰かの精神がピュアならば責められることは無いという考え方は根拠にしちゃいかんと警戒している。
<参考>
悪人よりタチが悪い、良かれと思って迷惑をかける「善意の悪人」
警戒、としたのは私とてそういう思いが伝わらず拗ねる事は少なからずあるからだ。が、相方を相手にひとしきり愚痴をこぼしたあと冷静になっちゃうと「本当に良かれと思うなら、やっぱり相手に確認すべきだった…」と悔しいけど独りよがりを自己総括するのもお家芸になってまして。
そう、本当に「誰か」を思うならその人に確かめるべきなのだ。サプライズに酔いたいとか、できるのに相手に主導権を投げない、自己承認欲求がそこにある。誰かを想っているように見せるていのいいエゴなのだ。
特に友人のそれが疲れさせてくれました。在京の友人が私を囲んでミニ同窓会をと言い出したことがあり、私は強く断った。これには私なりの理由があるわけです。友人もそうかと頷いた。ところが今度上京する折に会えるかとこの友人に打診したところ、私の同意を得ずほか同窓友人Aさんに連絡、向こうも楽しみにしている!と一方的に返信が。同窓と会わないという話は覚えているが、友人の判断でAさんは違うと判断したという。会話してすら伝わらないのであれば、私は一体どうしたら良いんだか。→逃げるしかねえ!というわけで距離を取る。説得は無駄だし必要もなし。
発端なのに事態収拾の責任を負わない腹づもりらしく、そうなると私が矜持を曲げるか友人を通してAさんに断りを入れるかしかない。だがAさんを社交辞令であってもその気にさせておいてやっぱナシ、は私からすれば元同窓というだけで親しい間でもないので失礼な振り回し方だ。全部友人が勝手にやったことなんだケド。友人はAさんを断るのは平気、それはそれで自分たちは会おう、と言い出した。
私が友人の立場だったら経緯から確認しないこと、謝らないこと、いずれもやらないと思う。私はAさんはもとより、友人とも会わないことにした。友人は「色々ごめん。落ち着いたら連絡して」。腫れ物扱いというか、子どもをあやす憐憫というか。
ピュアな精神の評価を対価にするのは警戒すべき、と前述しましたけれど、じつは世はこういう人がほとんどなのかもしれない。絶対正義を信じない私には、それこそ少し子供染みたように感じるのだけれど。結局理解はしてもらえないとなると私が距離を取るしかない今日この頃です。


by jaguarmen_99 | 2018-06-25 11:46 | 日々どーでも
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