昨日の土曜日は昼間は晴れ間が広がったのに、夕方から空模様は急転直下。ともあれ外出はタイミング良く車すら濡れずに帰宅できました。買い物があったついでに見たい絵画展があり足を運びます。
まずは
佐喜眞(さきま)美術館の
草間彌生展へ。私個人はかねてより観てみたかったアーティストの1人。
美術館評では
「草間弥生の作品は、どの作品も一本一本の線がうねり蠢いています。引けそうで決して引けない線。天才の線です。 (5/21)」
とされていて私もきっとそうなのだろうと思って臨んだのですが、作品を拝見するにむしろ逆の印象を受けました。近年の作品はほぼ迷いが無く圧倒されるばかりなのですが、展示は70年代からはじまる過去の作品もいくばくか並列されていて、現在へ至るプロセスが少し想像できる気がしました。他人が想像しえない部分まで、小さく細かくとぎすませていった彼女にとっては、天才のひらめきでもなんでもない、必然の結果なのではないか、と。針一本で砂糖菓子彫刻を作るような、そんな印象を受けました。いずれにせよ刺激になりました。行って良かった。すると15kmほど先で竹久夢二と中原淳一展が開催されていることをしる。これも期間が短い。よし、アート探訪ハシゴじゃ。
PLAZA HOUSEへ。
うわあ〜・・・ココ
きれいになってるー!(○口○*)(←在沖15年)
駐車場側のテナントは昔通りですが外観がキレイになっています。ショップもワンランク上の魅力的な商品を揃えていて、これは楽しい。ああ、竹久夢二ですか?ええ、自分は元々好みじゃなくて、中原淳一が観たかったのでこれまた刺激になりました。でも竹久夢二の恋愛遍歴も魅力的でした。自分も一度でいい、やってみたい。そういったら相方が自分が先に逝ってからにしてくれ、それなら肩にのって応援すると
インコみたいなことをおっしゃるので、じゃあしたたか遊んであの世に行ってからはもう1度結婚してあげると言ったら大喜びしているので愛おしいというより
申し訳ない気持ちになりました。うーむ、なんでそういうことしないことになったんだっけ??まあいいか。
色んなお菓子も有ったんで買いました。フランス製のガレット、エゲレス製のミントキャンディー。After Dinnerという名前がついてますが気合い丸出しにも思えます。ハッカパイプの中味の味がしました。粉末を固めたという感じで、唾液を含んで崩れていく感触はあまりなじみがありませんが、さっと溶けて
今すぐ口で吸え。ガレットは想像するよりも甘さ控えめで美味。
今週誕生日を迎える、虫が大嫌いなお友達に週末お呼ばれしています。よし、これあげよ。
そして私たちはこの友人へのプレゼントに大満足し、本来の目的である
布団圧縮袋
を買わずに帰ってきました。意味ねえ(ノД`)。
ああ・・・さっき掃除機で吸ったばかりなのに膨らんでるよ!やっぱ穴あいてるよコレ!(;Д; )
ところで佐喜眞(さきま)美術館、初めて行ったのですが、市営なのかと思っていたら
個人で始められた美術館であるようでこうしたイベントに加え、館長が惚れ込んだ、という丸木位里・俊夫妻の戦争に関する絵画が常設展示されています。これは圧巻。集団自決が軍命だった証拠がないから、国はいつもおかしくないよ、という考え方には私も反対です。
私は聖人君子じゃないから歪みもいっぱいある。だがなるたけ自分を好きでいたいもんだと思って苦悩する。今どこかで飢えて死ぬ子供がいて、そう言われても正直実感が沸かないし、実感が無いもんだからカワイソウだね、という言葉はどこか上からの目線があるのじゃないかと自分を責めたりする。私も鈍感だ。
さてどうする?
募金をして偽善をつくろうか?
関係ないじゃん、とつっぱねるか?
私はだれにたいしていいひとでありたいのか。
それとも本当にどうでも良いと感じるか。
47都道府県中46の自治体に住まう方々が特殊なオキナワの有りようについて実感が伴わないのは仕方ない。なんたって県内でも温度差があるでなぁ〜。理屈ばかりが先走ってとんちんかんなとこ目指してる思想もはびこっている。だが私はそうしたスキマをつけいられていることが問題なのだと思う。
このブログ内では幾度も繰り返していますが。
ぴんときたら、しっかり想像して自分で選ぶべきだ。
教育の先に洗脳という悲劇があることは大事な側面なのだから。
感受性だって才能なのだからね。その先が是か非かはわからない。勧善懲悪などない。
だから自分のグレーの結論を得ることはナニかの輪郭が見えるはずだと思うのだ。