映画
ぐるりのこと。を観てきました。
物語は上記オフィシャルの「イントロダクション」がネタバレどころか
まさしくそのものを紹介してくれているので物語を知りたいという方はぜひそちらをごらんあれ。要約いたしますと『木村多江演じる妻:翔子が精神を病んでいき、そしてリリー・フランキー演じる夫:カナオに包まれ互いに成長しながら希望を共に見つける様子』となりまする。基本的に妻:翔子が病んでいく様子はあまりハッキリとは描かれていないため、むしろ読んで予備知識を入れておいておくほうが良いカモ。私は先に読んでしまいますた。
さて、この映画。描写は
うつを患ったことがあるひとやまたはうつと今共に生きているひと、にはズバリど真ん中ではないでしょうか。
『人の心なんてわかんないよ。』
という夫:カナオのセリフは人生の真実でもあり、そして自らが人生をどう生きるのかと気付く少し寂しい門出でもあります。メガ「キチント」さんの妻:翔子は自分の中で考える幸福の切符を儀式におきかえがちで、強い自分というMy宗教でもある。「チャランポラング」の夫:カナオはある意味おおらかだが実は単なる他人への依存と責任放棄という甘えでもある。どちらも絶対的な存在では無いんですね。そんな2人が気持ちを繋げようと表現しあうことで本当の汚らしい、だが生き物としての自立という結論=たぶんこれが生きてるってことでいいんじゃないの?という結論へと歩み出していく。
正直、自分を眺めているようでした。
今でこそ相当な回復をみせているが、私はひどいうつを患った。
一番ひどい時期は本当に刃物を手首にあてた。
私は映画のなかで、本当に翔子が刃物をあてはしないかと心配した。
妻:翔子は自分であり、夫:カナオは相方です。
相方にそう感じたよ、話すと
相方も自分もそう思ったよ、と答えた。
加齢を重ねるとどうして自分は気持ちがこんなに丸くなってきたんだろうと近ごろ悩む私にはwこういう人生の『合わせ鏡』で平均化していくということなのだなぁ、と納得。
真実って苦い実だと私は思う。苦くないというのはウソだと思う。
でも苦いからウマクナイっていうのも違うだと思う。
人生に是(ぜ)か非(ひ)かではなく。
選んだ自分に是か非か、なのだと思う。
広がったり、収縮したり。
真実は同じ場所にいない。そう思う。
主演2人にメディア絶賛!という感触は得ていましたが、
木村多江が最後のほうで突如イイオンナに見えてきます。
そのあたりで、リリー・フランキーの腹の出具合とか、ひどく目がいきます。
でも、私はリリー・フランキーが俳優だとかナンとか以前に、ナンシー関と対談コーナー持っていた頃から→すごく、すごくスキなんです。
イラスト界の大場つぐみ、か?
ところで、作中はじめのうちは法廷内の廊下ではだしになってあぐらをかいて絵をしあげているカナオなのですが、終盤になると衣服の乱れもなく靴をはいたままひざをついて前屈みで絵に向かうようになります。
どこか人への畏敬を感じ得て、私には印象的なシーンでした。
夜の回を見たので帰りはPM23時を回ろうというところ。
平和通りの商店街は当然閉まってます。
すんごい趣。