人を見送っておりました。
はい、おくりびと、のほうの。
いえ、親ではない、かたの。中年ともなると、こういう事も「日々の忙しさ」のなかに入ってきますね。
普段は年イチぐらいしかお会いしていない赤の他人ですが、お付き合いじたいは長い私の恩人のひとりです。
私は初めて1人の人間が生を閉じていくさまを、ずっと横で見ていました。
機嫌が良いときも、死の恐怖に怯えるさまも、そして少しずつ離れていく時間も。看取ったわけではないのですが、次第しだいに眠っている時間ばかりになり、そう、おかしな語彙ですが少しずつ、心に手が届かなくなっていく。すこしずつすこしずつ、同じ夢から消える時間が長くなる。
死とは恐ろしく悲しいものだと思っていました。もちろん悲しいは悲しいんですけど。天寿といえる年齢でしたのでやり場のない悲しさではなく、未知への恐怖を想いつつもこんな優しい別れがあるのかとも想う。
特に終わり近くは本当に可愛いお年寄りでしたので、それを思い出すと悲しさより寂しさがつのります。
2月に幾度か入院先を見舞い、その翌3月に先が非常に難しいというお話がご家族よりありました。自宅と病院の簡易ベッドとを往復しながら仕事と付き添いを続けるご家族。私はこの人たちのQOLを少しでも下げないことが恩人を支えることに繋がると信じ、やれることをやらなかったら、自身の人生に汚点を残すと直感した。不思議なことに全然迷いませんでした。
ご家族は故人に残された時間を自宅療養に切り替え、介護休業を取りつつ故人の旅立ちを支えることを決意。
最終的には人ん家の冷蔵庫を勝手に開けるようになっただけで大した助けにはならなかったけれど(ww すごく簡単な介護は覚えた)ご家族の許可を得て、私は病院・ご自宅と可能な限り見舞い続けました。なんとこれがもう、自分でびっくりするぐらい無欲で、自己承認欲求ゼロ。こんなにいいヤツだったんかい、私!でもね、同じことを自分の親には絶対やらない自信あるヨー。
このことを人に話すとお前はエライ、ヤクザも驚く義理堅さだと誉めそやしてもらえるんですが、いやいや違うんよ。ご家族こそが真に SUGEE のよ。私はそれを横でずっと見ていたから。
ペシミストの私ですら人の心はこんなにも美しく優しい時があるのかと感動すらおぼえる。もちろん現場には疲弊、焦燥、怒りといった負のシーンだってあふれてる。助けられはしない、でも何か小さなひとつでも救いになりたい、一緒に受け入れてやりたい、ご家族・自分・関係者みながそう願う。人間て多面性の生き物だけど、これほど純粋な善性の結晶ってそうそう見かけるもんじゃないはず。つまり自己の責任と裁量において与えることだけ考えているというシーン、これを尊いと呼ばずしてなんとする。そして別れを迎え、アリャ?じつは私が故人に救われていたのだと気づく。ぐるぐる尊し。
故人が合わせ鏡で私に残してくれたものは、ひとつの言霊、そして私のなかに隠されていた善性の輝き。ウチの子だから、って言ってくれたの、一生忘れないよ。
今回は相方も今しかないことだからやれ!と背中を押してくれて、思いつく限りやれました。ご親族の厚意により、お骨も拾わせていただきました。最後の3ヶ月、でしたが寂しくなるていどには思い出をたくさんもらえて(それはたわいもない話をしている思い出ばかりなのだが)思い出せるということがこんなに嬉しいことだとも初めて知った。悲しいばかりじゃない。すごいぞ、本当に人は心に棲まうのだな。
故人と、そして出入りを快諾してくださったご家族のご理解に改めて深く御礼申し上げます。
自宅に戻れるよう尽力を賜った病院の主治医とスタッフの皆さん、自宅においては抜群のフットワークの在宅診療ドクターと看護士さん、連絡を欠かさず日々通ってくださったヘルパーさんたち、ならびに故人がいつも楽しみにしていたデイサービススタッフの方々、本当にありがとうございました。
また訃報にすぐすっ飛んで来て今も色々手伝ってくださるご友人の皆さん、声かけにいらしてくださったご近所の皆さんにも感謝申し上げます。
そして故人の先立たれたご主人と妹さんに。毎度仏壇に祈った私の願いを叶えてくださって有難う。
夜に追いつかれるのが分かっていながら振り返りつつこの黄昏が永くあれと刹那的に願う。ああ、この想いの正体が祈り、なのだと知る今日このごろです。