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【三びきのやぎがらがらどん】を読みました。
【三びきのやぎがらがらどん】 を読みました。
絵本です。友人に読めと言われたからです。なのですぐネットでさらって読みました。youtube にもあります。



あらすじ:
「あっちの山で草食って太ろうぜ!ウェーイ!」
がらがらどん、という同じ名前の小中大のヤギが橋を渡ろうとしたら橋下のトロールに食うぞ、と絡まれますた。次に来るやつのほうが大きいよん、と小・中を順に見逃したトロール、さいごに現れた自分よりデカイ大ヤギに『角で目をえぐって八つ裂きにしてやる』と脅された‥んじゃなくて問答無用で凶行発生、是非もなく消えるトロールさようなら。3匹は橋を渡って草を食って太りましたとさ。チョキン、パチン、ストン。(※1)

画像もさらってみました。なかに『バーナード嬢いわく』の一コマ三びきのやぎのがらがらどんの特異性 あるいは野蛮な民話の多様性

圧倒的な暴力

まさにそれだ、と私も感じましたので友人にその旨伝えたところ、教訓が含まれているのだ、と声を荒げるのです。

私「教訓??……”間抜けは死ぬ?”」友「違う!この本は勧善懲悪だ!」

へっ?勧善懲悪??? 

えっ…じゃあ、どちらかと言えば悪ってヤギだよね? → 友「先に食うと言ったトロールが悪いんだから、トロールが悪に決まってる。ネットで見たぐらいで読んだ気になんなや。」

→ それはトロールは大抵悪役という色眼鏡ではないのか?と思いましたんで、行間と印象・質感を読み取るべくじっさいに本を手にとって読んでみたわけです。

ぱらり ぱらりん かみをめくると
あいかたがいいました。

ヤギ、初犯じゃねぇなー。

それな!!犯って言っちゃってますんで我々もまたすでに色眼鏡でしょうか。「なに、ぼくですよ」などと小ヤギが軽口叩いてるあたりもうさんくさいし、出会い頭から勝負は決しているだろうに、あまつさえ目まで串刺しにする大ヤギの力の誇示。エンディングの「まだふとっているはず」からも3びきが当たり屋くさいチームプレーを繰り返しているらしいことがうかがえます。そう思うともう、ヤギの顔からして狡猾さが漂う。もしこの話から教訓など得られるとしたら「上には上がいる「トロールは欲さえかかずに中食って腹八分にしとけば良かった」もしくは「知恵とパワーで弱肉強食ヤギの勝ち」でしょうか。勧善懲悪だと言われて読み返してもやっぱりヤギの過剰防衛感まったなし。受け止め方とは色々あるもんでして、絶対正義があると信じた子供のころならまだしも、ヤギこそ正義執行者だと先入観を与えられてなお、いまの私はトロールが悪い!と割り切れない。むしろ大ヤギと仲違いしてひどい目にあう小中ヤギの物語見たい。

しかしまぁ。この論点じたいがおそらく間違いでこの物語じたいは勧善懲悪でもなんでもなくて単にしたたか者のお話=元来教訓などないの気がします。オチがないのは欧州の童話などによくあるパターンな気がしますし、日本の昔話でもバッドエンドやオープンエンドでも散見できます。人生訓でも含まれているとおっしゃるのなら「舌切り雀」の残酷さとか、なんで善の象徴たる爺さんがあんな性格悪い嫁迎えたんだろう、とかそれこそヤギや狐のように「小賢く」なれそう。物語ってそんなに学ぶものあるのか?物語には色しかなくて、受け手の教養が学びを写し出すのだとしたら?
思いつく非の打ち所のない物語なんて「かさじぞう」善行=一攫千金ストーリーぐらいしか無いと思うんだけどなー?

あらすじ:

どうせ売れなかった傘は帰りに地蔵にあげた、年越しの飯代稼げなかったYOゴメンゴメンゴ、という聖-セイント-爺さんに「それは良いことをなさいましたね」と文句ひとつ言わない聖婆さんの家に沈黙の地蔵軍団が夜襲をかける!礼は…倍返しだ!

※1 チョキン…(略) 最後エンディングにむすびの言葉として出てきます。めでたしめでたし、とかとっぴんぱらりのぷう、みたいな音遊びだと思われます。


# by jaguarmen_99 | 2019-06-26 15:42 | 世界遺産的マンガ&BOOKS
サンクスツアーにサンクス!
過日なんですが『浅田真央サンクスツアー』を観て来ました。はい、ファンですよ、ウフフ。

結論
サンクスと言いてえのはこっちだチクショー( ;∀;)。

南風原(ふぇーばる)の精×病院の隣といういろいろ絶好のロケーション、サザン×ル、ほんとに小高い丘のてっぺんにあります。沖縄にスケートリンクなんかあるのか、と言われたらギリギリ…ある!(※ ウインタースポーツ未体験だった私はずっと昔、中部で生まれて始めてのアイススケートした覚えがあるんですが…あれはどこだったのか)

ギリギリだからこれ以外選択肢無い。タナボタ的に大イベントが向こうからやってきたのは火を見るよりも明らかなのに、併設されているボウリング場のトイレは使うな!とか意識高いケチくささといったらこの上ない。
チケットはローソンにて県民先行、一般先行、通常の順で抽選受付され、それには指定立ち見という初耳な席も含まれておりましたが、私たちは一般先行抽選でなんとか座れる一番後ろの指定席ゲット。こちとら中年だ、ずっと立ち見など耐えられぬ。しかし立ち見の指定なんてできるんだろうか?と思ったが、なるほど実際行くとなんたって狭い。ズルもきかないぐらい狭い通路が指定の立ち見席なのだ。にゃるほど。長らくフィギュアは観察してきたが、GPはもちろん選手の留学先でもロシアの片田舎でもここまでの小さいリンクは見覚えがない。ホントにこんなとこにあのスターがやってくるのだろうか?たとえて言うならいつもドーム公演なさってる方に今日は公民館でヨロ、と言ってるようなものでは。

さてチケットは買えた、だが南の島のメロスは、スケートリンクにどんな格好で行くものなんだかさっぱりと分からぬ。しかしなんと、私にはアイスホッケー甥がいるのでその母たる姉に聞く → えっ?まさかぁ。そんな冬支度しないといけないの???大げさじゃないかと相方と笑いつつ片付けた冬用のダウンを出して「持って」行く。だって当日の外気温は最高30度。しかし

姉貴、ありがとう。大正解。

ささささむい!涼しいを通り越して一足飛びに寒い!それもそのはず、席は狭いリンクの上に作った形になっていて、さらに『指定パイプ椅子』がしんしんと下から冷やしてくれるではないか。公演がおよそ90分、ここへ来るまでにも汗をかかないよう気をつけはしたがアドバイスがなければもっと薄着で体調を崩してしまっただろう。
さて、アイスショーと理解していたがプログラムは濃厚。メインとなる真央ちゃんと無良君がほぼでづっぱりの2本柱、ファンなら誰もが知っている真央ちゃんの過去のプログラム曲に合わせ新しい振り付けで彼らがリンク狭しと滑って踊る。休みがないし、狭いから3は飛ばない。でも近い!真央ちゃんが滑って行った先で拍手喝采が起きる。場末のキャバレーか。無良君も正直もっと大柄で顔のデカイおっさま風体かと思っていたが、じっさいには小柄で華奢な青年なのである。正味の話、無良くん昔より見せ方がすごく上手くなってて、現役のときこれだけやれてたらなぁ、とさえ思ったりなんだりだが、それがなくとも真央ちゃんと無良くんだけは体の使い方が別物で、なのにこれだけできてもトップになれないとはなんと厳しい世界なんだろう。
しかし競技の厳しさもあるが私見を言えば浅田真央は競技の政治的思惑(※1)に翻弄されてしまった悲劇の人とも思う。か(K)の人をライバルなどと本気で言うならフィギュアスケートに美しさなどという主観は要らないはずだ。
競技的には点に繋がらなかったかもしれない、だがソチで見せた浅田真央の追求、執念、挑戦、ファンなら誰が忘れることができようか。かつてマツコデラックスが伊藤みどり(※2)に金を取らせたかったといって泣いてみせた。私も浅田真央にメダルをとらせたかった、と思うと普通に泣けるんだけど、その前にマツコと同じ種類になりはてた自分に泣けるほうが大きい。
ソチの衣装を着て『ピアノ協奏曲第2番』(ソチ五輪でのフリー曲)。いま彼女は仲間と自由に滑っている。最後にポーズを決めた刹那、申し合わせもなく会場はひとつになって割れるような拍手が響き渡った。インタビュー記事では真央ちゃんたち『特に沖縄って人が来てくれるだろうか』なんて言ってたけど、うん、南の島にあったって、みんな分かってる!分かってるよねぇーー!
私的にほかの見所としては1曲ほぼまるごとステップシークエンスというファン垂涎ものの見せ場がありまして、ぱっと見地味なんですけどスンーーーーーゴイ技術なんだよ、あれって。相方によると『あれだけやって左右差が全く無い人ってこのひとぐらいだよ。』

ありがとうー!

あー…いいもの観た、心震えたワー!また来ないかなー。ちなみにメンバーは前日に北谷町(ちゃたんちょう)で遊んでたところをファンに目撃されています。真央ちゃん楽しんでくれて良かった、ほんとね、人よりちょこっとぐらい幸せになって欲しいんだ、人として尊いものを見せてくれてありがとう、って言いたいのはこっちなんだぁ。


※1 当時から有名な話で業界でも各所で疑問視されていた。真央ちゃん1回もそんな不満こぼしてないけどね。浅田真央が少し劣るライバルとして背中を追う、みたいに放送していたのは母国である日本だけで、世界では非常に評価が高かったのだ。



※2 大雑把にまとめると見た目重視だったフィギュア界に技術でポイントをとる魁となった人。最初は汚い田舎娘!とボロクソ評価でしたが



業界のプログラム感を根こそぎ変えた原動力(高っかい!!!)。村主章枝をもってして「現在の軽いスケート靴を伊藤みどりサンが履いたら5回転飛んじゃうと思います」と言わしめた。


# by jaguarmen_99 | 2019-06-20 15:17 | 日々どーでも
2019今年の胃カメラはひとあじ違う。
また胃カメラ(内視鏡)です。ちょっと胃が悪いんで、検診も含め年イチで飲む運命(さだめ)化。しかし、今回はちょっと違う。

流れ上いつもと違う大きめの総合病院でやることになり、担当医にかくかくしかじか麻酔ヤヴァイの、と伝えると静脈注射の寝ちゃうヤツだから大丈夫だと思うよ(違いがわからん)ということで静注+鼻腔からの内視鏡という初めてのコラボレーション。いちおう心配なんで相方にもついてきてもらいました。ドクターによると『寝ちゃうと思うよ』。
気づくと検査終わってるよ、ラクだよ、と胃カメラ飲んだ人は異口同音にこれを言う。そうか、これのことなのか。避けてきたけれど(※仮にやりたいと言っても小さめの病院では渋い顔をされるはずです)麻酔の一種とはちがうのかな?怖いではあるんですが、しかしこれでも過去に全身麻酔は経験済み、同じ病院なのでもうお任せするしかない。いや、もしかしてこれで大丈夫なんだったら今後ラクになる?と鼓舞セルフ。
病院側も面倒がある人は家族がいるほうが助かるようで相方ともに処置の待合室に通される。胃カメラに至るまでのあたりは割愛しますが(要は飲み食いしないで来てちょっと処置してスタート)アレルギーに関する情報もきちんとカルテ上伝わっているようで安心。ではよろしくお願いします。

『じゃあ、胃の動きをにぶくする注射しますねー。眠くならない人もいますけどね。』

ふっ、ならば私は抗ってやろうじゃな…あ、眠くなってきました‥

『良かった。じゃあ始めますねー。』

あぁ、不安だったけど意外と穏やかな効きだぁ…おやすみn…

んごげごんぷぉご!

目覚めよ!眠れるどころではない!いや、えづかないだけいつもより良かったんだけど、検査中眠れなどしなかった!しなかったんだけど。何が凄いって、実はこのあたりの記憶が後から定かじゃなくなってしまったのだ。検査中も確かにしんどかった、眠らないままベッドに立って歩いて、その時も少しふらついたが看護師の手は借りなかったと思う、そこまではしんどかった、ベッドで横になったら 20分 ぐらい眠っていた。トイレに立ってまだ休んでおけと言われ、再びベッドに戻り、ああ、結局決められたタイムスケジュール通りで診察だと思ったのもこんなにちゃんと覚えている‥なのに!直後には鮮明だった「検査中のしんどかった記憶」だけが曖昧になってきて、思い出せないからなんだか検査って正味3分ぐらいの話だったような気すらしてるんですよ、つまり不思議なことにラクだったような気がしてしまっている!導入部、途中途中は覚えているんだけど記憶がまばらに抜け落ちてて、編集するとすごく短くなっちゃう。あぁ、大したことなかったな、なんて。

だから、すごい遠回りなんだけど、結果としては記憶が改ざんされて他の人と同じところに着地して、ラクだった、と言えちゃうんです。寝てはない、マグロにもなれなかったんだけど、少しでもラクにという願いはなぜか叶っちゃってるんですよ、これ邪道過ぎて可笑しくないですか?
でも次どうする、と訊かれたら私は同じ病院でまたこの静注タイプを選ぶと思います。やっぱり麻酔なし真っ向勝負って辛抱しかないからそれはできる、でもキツイんですよ。記憶の改ざんだとしても、やっぱりトラウマ的なくさびを打ち込まれるよりはと思う。当ブログ、胃カメラ・麻酔で検索してくれてる方が一定数居られるので、同じく面倒を抱えてらっしゃる同志のご参考までに。


# by jaguarmen_99 | 2019-06-17 17:08 | 日々どーでも
みおくりびと、してました。
人を見送っておりました。
はい、おくりびと、のほうの。
いえ、親ではない、かたの。中年ともなると、こういう事も「日々の忙しさ」のなかに入ってきますね。
普段は年イチぐらいしかお会いしていない赤の他人ですが、お付き合いじたいは長い私の恩人のひとりです。


私は初めて1人の人間が生を閉じていくさまを、ずっと横で見ていました。

機嫌が良いときも、死の恐怖に怯えるさまも、そして少しずつ離れていく時間も。看取ったわけではないのですが、次第しだいに眠っている時間ばかりになり、そう、おかしな語彙ですが少しずつ、心に手が届かなくなっていく。すこしずつすこしずつ、同じ夢から消える時間が長くなる。

死とは恐ろしく悲しいものだと思っていました。もちろん悲しいは悲しいんですけど。天寿といえる年齢でしたのでやり場のない悲しさではなく、未知への恐怖を想いつつもこんな優しい別れがあるのかとも想う。
特に終わり近くは本当に可愛いお年寄りでしたので、それを思い出すと悲しさより寂しさがつのります。

2月に幾度か入院先を見舞い、その翌3月に先が非常に難しいというお話がご家族よりありました。自宅と病院の簡易ベッドとを往復しながら仕事と付き添いを続けるご家族。私はこの人たちのQOLを少しでも下げないことが恩人を支えることに繋がると信じ、やれることをやらなかったら、自身の人生に汚点を残すと直感した。不思議なことに全然迷いませんでした。

ご家族は故人に残された時間を自宅療養に切り替え、介護休業を取りつつ故人の旅立ちを支えることを決意。

最終的には人ん家の冷蔵庫を勝手に開けるようになっただけで大した助けにはならなかったけれど(ww すごく簡単な介護は覚えた)ご家族の許可を得て、私は病院・ご自宅と可能な限り見舞い続けました。なんとこれがもう、自分でびっくりするぐらい無欲で、自己承認欲求ゼロ。こんなにいいヤツだったんかい、私!でもね、同じことを自分の親には絶対やらない自信あるヨー。
このことを人に話すとお前はエライ、ヤクザも驚く義理堅さだと誉めそやしてもらえるんですが、いやいや違うんよ。ご家族こそが真に SUGEE のよ。私はそれを横でずっと見ていたから。

ペシミストの私ですら人の心はこんなにも美しく優しい時があるのかと感動すらおぼえる。もちろん現場には疲弊、焦燥、怒りといった負のシーンだってあふれてる。助けられはしない、でも何か小さなひとつでも救いになりたい、一緒に受け入れてやりたい、ご家族・自分・関係者みながそう願う。人間て多面性の生き物だけど、これほど純粋な善性の結晶ってそうそう見かけるもんじゃないはず。つまり自己の責任と裁量において与えることだけ考えているというシーン、これを尊いと呼ばずしてなんとする。そして別れを迎え、アリャ?じつは私が故人に救われていたのだと気づく。ぐるぐる尊し。

故人が合わせ鏡で私に残してくれたものは、ひとつの言霊、そして私のなかに隠されていた善性の輝き。ウチの子だから、って言ってくれたの、一生忘れないよ。

今回は相方も今しかないことだからやれ!と背中を押してくれて、思いつく限りやれました。ご親族の厚意により、お骨も拾わせていただきました。最後の3ヶ月、でしたが寂しくなるていどには思い出をたくさんもらえて(それはたわいもない話をしている思い出ばかりなのだが)思い出せるということがこんなに嬉しいことだとも初めて知った。悲しいばかりじゃない。すごいぞ、本当に人は心に棲まうのだな。


故人と、そして出入りを快諾してくださったご家族のご理解に改めて深く御礼申し上げます。
自宅に戻れるよう尽力を賜った病院の主治医とスタッフの皆さん、自宅においては抜群のフットワークの在宅診療ドクターと看護士さん、連絡を欠かさず日々通ってくださったヘルパーさんたち、ならびに故人がいつも楽しみにしていたデイサービススタッフの方々、本当にありがとうございました。
また訃報にすぐすっ飛んで来て今も色々手伝ってくださるご友人の皆さん、声かけにいらしてくださったご近所の皆さんにも感謝申し上げます。

そして故人の先立たれたご主人と妹さんに。毎度仏壇に祈った私の願いを叶えてくださって有難う。

夜に追いつかれるのが分かっていながら振り返りつつこの黄昏が永くあれと刹那的に願う。ああ、この想いの正体が祈り、なのだと知る今日このごろです。


# by jaguarmen_99 | 2019-06-10 16:57 | 日々どーでも
親知らずをブッコ抜き。
こんにちは。
過去記事ブログはまぁ…出来るときはやるぞ。なるべくやるぞ。
と、まあ先に言ってあるからな、うん。
2日前、生まれて初めて親知らずを抜いたのですが、ここまで顔腫れるとは思いませんでしたよ。ハハ歯ー!顔半分だけホームベースみたいだ。
しつこいほど申し上げてますが私め麻酔に対して耐性が弱いというか必要以上に効いちゃうタイプでして、鼻腔からの胃カメラで毎年ドクターに断末魔を見せるのも心苦しい →『じゃあ、ちょこっとだけカメラの先につけてみっか』なんてやったら20分後に脈上がっちゃって結果的に面倒かける、を昨年こなしたばかりです。もう、どうしろってんだ。私の場合は大人量を一気に入れるとドカン!と脈が上がって苦しい→ちょっとずつ様子見ながらならなんとか OK なので、それだけでも自分で選べる選択肢があるだけマシなんですが。
親知らずが奥歯のさらに奥の歯茎に真横のまま完全に潜っていたため、これを取り出すのに切開する必要がありました。結果的に今回の麻酔は成人定量の2/3量で終わりましたが実感として1/2でも平気だったかも。

さて、こういう事情なので必ずドクターとのすり合わせが口頭から必要になってくるんですが、驚くなかれこういう相談をすると『まさかそんなことはありえない』みたいな返答をするドクターもたまに居たりしまして、それに当たるとどうしても乱暴なことになったりします。医師免許と人間性は無関係なので、相性が悪いドクターがいれば私は事情を話して素直に避けたり代わっていただこうとは思っていますが、ここで1つおかしな問題がありまして。
あくまで私見なんですが、このすり合わせ段階でちょっと不安が残るドクターのほうが高確率でウデがいいというか、仕事早いんですよ。たぶん私が不安に思ってる範囲が広い反面ドクターは責任の範囲が狭くとも明瞭、この誤差がしっくり来ない感の正体だと思うんですが。つまり私はあさましくも客なんだからなんでも平身低頭サービスせえやと願って居る。けれど本来私が求めるサービスって麻酔や体調のコントロールと仕事の完了なので、じつはそれさえできてればいい。だから私の受け止め方は無視して、多少人間関係の構築に長けてなくても仕事に責任感持ってるドクターは最適解だったりするのです。しかしたまに全てがアブナイ人もいて、院内とて世の縮図だから仕方ないんだけれど…「おかしな問題」というのは、お任せしようと思えるか否かが好みだけでは判断しがたい点。そう、世の縮図なのだから当然ではあるんだけれど。こちらとしては毎度体張って辛抱が大前提なんでそれこそ命がけで説明しなくちゃならんのですが、ほんとに指針が分からんもんですね。

今回ちょっと複雑ということで総合病院でやったんですけれど、どこか聞いてないふうに見えたドクターも実際は話を聞いてくれてたようで、ぶっきらぼうに見えたのはドクターにとっては見慣れている範囲内だからの様子。実際にはすごく仕事が早く、「意外にも」常に様子を見てくれたので処置はかなり楽に終えてくれました。ちょっと頭がボーとして、あとで頭痛はしましたが、色々リクエストが多い身なのでこれで十分上出来です。

ところで。抜いた親知らずを観賞用として持ち帰った(※抜く時に切断されているためプラモ用パテでくっつけた)んですけど、見つめているうちにこれは歯なんだけど、例えばこれが土から出て来たら人骨の一部と呼ばれないか?と気づきました。自分から出た自分の骨を見つめて居る。中原中也のポエットを思い出します。もし私が行方不明になって、これだけ出て来たら君は大事にするか?と相方に訊いてみたところ、えー…という大変しぶい返事が返ってきました。でもちょっと共感するというか。
# by jaguarmen_99 | 2019-03-27 12:07 | 日々どーでも