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【小説琉球処分】を読みました。
身動き取れないうえに最適なヒマつぶし(ネットが繋がらなかった)も無くなったので、いきおい本読んでました。

【小説琉球処分/大城立裕:著】を読みました。

大城立裕先生は芥川賞受賞作家であり、賞の重さ云々は別にして沖縄文学界の重鎮といって差し支えない方。各所でインタビューやコメントなどを見るにつけ非常な聡明さを印象づけられておりましたが、作品は初めて拝読しました。

<参考>

芥川賞と直木賞の違い

読後感としては印象が確信に至るというあたり。なぜかというと

結論


どちらかというと沖縄にいるヨソモノが読む方が面白いと思います。
沖縄モノというと島だとさっぴいても)この人は良くも悪くも視点が島の外=ヨソモノの見た鳥瞰図なんです。島にいるヨソモノの私としては逆説的だけど、よくここまで島人(しまんちゅ)がヒイキを押し殺して、と驚愕すらする。
じっさいヨソモノの私には士官の「松田」に強い憤りを感じつつ、彼のいら立ちと譲歩の気持ちに重なるところが確かにあるんです。そして作者が描くように観念上の基礎にやはり大きな差があるんだという事実を、島人が言い切ったというところが私にとってはひどく衝撃的でした。作者の慧眼と負い目が作中の「良朝」に重なるところがあります。

うちなーんちゅ(生粋の沖縄生まれ&育ち)の誇りは常に私が尊重したいと願うものであり、だからこそ作中の松田や伊知地に憤りも感じるんだけれど、グローバルに考えると人として政府側も琉球側もドッコイドッコイ。いずれも盲信と利に埋もれた人間達のドラマであり、聡明な者は取り残されて迎合に至るのです。歴史のうねりは割と浅い感覚が動かしているという悲哀。

タイトルの「琉球処分」という言葉は日本政府が琉球をもてあましつつ下にみる態度を一貫させたという重要なキーワードだと思うのですが、これが下巻で突如出て来てあまり触れない、とか、当時新聞連載だったらしいので出て来たキャラが途中でさらっと消えるとかこのあたりはご愛嬌なんですが。

ところで先日ジュンク堂書店に行ったら、何と大城先生のサイン会開催中!

ほ、欲すぃ!


そう思った、正直「目取間×」のサインは欲しくねぇ、でもこの御大のサインは欲しい!一生の記念にしたい!そう思いました。おりしも私はこの【小説琉球処分】を購入するか図書館で借りるか迷いあぐねていた時だったので、サイン貰えるならええい!買おう!と考えたのですが→書店の人に尋ねたら「違うお?先生の新刊買ってくんなきゃダメだお?」
・・・そうですか。しかし先生のお手前無礼だから言わなかったけど、申し上げたい。言うぞ!

誰も並んでねぇじゃんよ!


この島の至宝の前に、だよ!?ふざけるなぁ!ジュンク堂めぇ!!サクラでもいいから人を送れよ!少なくとも私はこの御大にこんな恥をかかせることが堪え難いという義憤を感じた。たとえサクラでも盛り上げたい!「他の本じゃダメ?」→「ブッブー!」
しかしまぁ、ルールだもんね。どうにも動かせない時代と民族性。まさしく先生が描かれた世界そのもの、に過ぎて。しかし私の言うことはヒイキ入ってるから素直に引き下がるし、新刊には全く興味沸かないという私の冷淡さは棚上げできんわな。でも、サイン欲しかったなぁ、こうやって作品読み終えると、ご祝儀として新刊買っても良かったかもと後悔。しかしこういう情と絡ませたがるは島ぐらしのせいなのかもしれない。普段は永遠のヨソモノとして扱われているはずなのにね。

さて、私の沖縄生活もなかなかの長さを迎える節目です。へぇ、どのぐらい住んでんの?とウチナーンチュに尋ねられ、そうですね、やっと20年ぐらい、と答えると間違いなく

絶句される


という時代です。絶句されたということは、後に島の暮らしをのべつまくなし押して満足しようという彼らの企みが頓挫したことを指す。

「まだ沖縄についてお話するには早過ぎますよね。」

と意地悪を言うと

「いっ、いえ、そんなことはありませんよ!」

私たち本土人から言えば違う言葉も選べようが、いまだ言葉つたないところがある彼らにとっては目一杯の誠意なんだと私は知っているから、それを聞きたくて意地悪するのですよ。そんな埋まらない溝とか温度差とか。そんな世界がこの小説にはあります。
沖縄に長く住むヨソモノにぜひ読んで欲しい、そんな小説です。久米村の立場もニュアンス的に分かりますし「外国に向かってはねがいこう(願い乞う)立場」と外交を言いまとめさせる手腕と視点は実に圧巻。
by jaguarmen_99 | 2011-08-06 20:19 | 世界遺産的マンガ&BOOKS
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