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笑う魚ー金城次郎生誕100年ー
【笑う魚ー金城次郎生誕100年ー】を観てきました。
金城次郎は人間国宝です。

<参考>
・当ブログの前回登場時

いつものように Oh !! ZAPPA !! に申し上げますと

唯一の陸上戦があった沖縄→戦後パーフェクト焼け野原→GHQの管理下、食器やら器が足りねーじゃんということで窯業におまいら作れとお達しが出た→その後日本全体にゆとり出てゲージツ論ぶちかますように→そこで金城次郎、民藝運動の創始者、柳宗悦、濱田庄司、河井寛次郎と出逢う。本土でのピックアップもあって追い風だぜえ!

という次第。沖縄での陶器の手法はこの壺屋焼きだけではないのですが、窯の復興と同時に金城・小橋川(こばしがわ)・新垣(あらかき)という三名が追い風にのって浮き上がって来ます。

この展示、成人おひとりさま 400円 です。ハッキリ言います。

100円高い。


まず展示数が格段に少ない。およそ30点ぐらいしかない。そりゃないだろ、と思う。015.gif
間違いなく価格とつりあいが取れていない。
さらに集めた展示物の年代が偏っていて、金城次郎という人を表し観覧者に考えさせるにはどうにもこうにも。お察しのようにポジティブに庇う気持ちも生まれるのは確かに古い年代に彼の挑戦の軌跡が見えてこれは楽しいのです。ここで満足と発見もあったので、文句はいちおう相殺して差し控えられるんですが→やっぱりダメだろう、これ。金城次郎自身を見るならピカソのように駄も優もガンガン並べて欲しかった、と感じます。

もう一つ、民藝運動へのそれぞれの評価がある。私は北大路魯山人という人は好きじゃないんだけれど、時にいいのは作るんだなぁという気分もあって、そんな彼が民藝運動の濱田庄司をこてんぱんに批判していたんです。その批判とやらは濱田庄司は口で言う美の追求と暮らしぶりが全然合致してない、というサスペン’好きな主婦みたいな根拠なんですけどこれは言い得て妙なとこもあると私は魯山人の態度にちょっと感心した。

正直いってね、ローカルの民芸とか伝統とかって土着の精神性があっての表現でしょう?どの土地の人にも美と感じうるかといったらそうじゃないのは必然でしょうし。
でも、美っておおかたを絶対的に人を魅了するケースも実在してると思う。

そしてピカソ含め、どんな作家さんだってスゲエの連発してるわけじゃないから、ああ!違う土地で土着のもの作ってるんでしょう?すてき!っていう考え方に行くと本当に考えうる美を追求した結果なのか?と疑問に思ったりする。今回の展示のタイトル「笑う魚」は金城次郎が好んでモチーフにした魚が笑っているように見える、と濱田庄司が評したことに由来するらしい。

そして私がちらっとみた濱田庄司氏(人間国宝)の作品は確かにどこかの田舎で義母さんが残したといって嫁が使ってるよなもんだよね、と思うけど、作品としてはものすごく野暮ったく感じる。実用品として素敵だろうけど、美しいのか?私的には人として魯山人という人物の野心ぶりはどうかと思うけど、エッジの効いた洗練は魯山人のほうが多く描いているように感じる。魯山人の批判は野心を抱いて他を食い物にしていく覚悟ならお前(濱田庄司)は徹底していないと言いたかったのかな。最終的に展示の最後は濱田庄司が愛した(らしい)益子の復興募金のお願いだった。

ただ、私が今回の展示を最後まであしざまに言えないのは、前述したとおり古い年代のものに金城次郎の挑戦の軌跡と模索が見えて、むしろこのほうが美しいと思った。そう、民藝運動が推すようなものではなく、金城次郎はもっと洗練された美しさを持っていたのだと思う。彼の作品というとつい魚の彫り物に偏るけれど、だからこそ出て来ない赤絵の水差しや、壷型の灰皿などは逸品のフォルムだと感じるなぁ。

誰かの手に渡って蘊蓄つけられただけで作品の価値って変わってしまうんだと思う。作り手の次郎さんは、当時どう考えたのやら。まだまだ研究が足りないとすれば、今回の展示はそのまま次回への課題が多過ぎる。
by jaguarmen_99 | 2012-02-25 19:40 | 日々どーでも
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