相方が出張に出てまして、本日帰宅。
相方がいないと私の食生活は一変する。
参考:過去記事「
弁当作りさえ無きゃと願ったら…」
と、いうわけで【卵かけごはん】だけではいかん、ということは反省した結果、納豆をプラスしてみたところ
【卵かけごはん】+【納豆ごはん】+【卵+納豆ごはん】
という3種類の負の連鎖を自らに見つけてしまい「野菜ジュース飲んでるからいいかな」という言い訳が複数回脳裏に浮かぶ。
我ながらすさまじいなコレ。ここんとこインスタントみそ汁に頼って、毎日とってた出汁も取ってないぞ?相方が先に死んだら、いずれにしても私は早晩ダメになりそうだ。
かろうじて have to な要件から昨日やっと鍋をふった、というトコでしたがこれも自分のためではないのでどうやら私が飯を作るのは他人ベースらしいと分かりました。料理がマメだとか手間ひまかけてるとか言われても、それは単に今の生活の上になりたっているだけのことらしいのです。
いざ自分のために作れと言われると意欲が全然湧かない。
そしてもう一つ気づいたことがあるんです。実は1人で気ままにやってると、空腹を感じてから用意することになる。するとスゴく楽をしたくなる。さっさと食いたい、っていうモードに入ってるから。
で、私の場合は人がいると180度逆なので、普段のおさんどんは空腹になるだろう時間を逆算してやってるわけです。つまり空腹じゃない状態から作り始めるんです。逆に、自分が空腹で機嫌が悪くとも辛抱して作るというケースもあったりします。全て合わせてるわけではありませんが空腹を感じるペースって個人でかなり違います。だから、あったりまえなんですけど普通に「飯を食う」って計画する・作る・片付けるも含め時間を要するものです。※ ここには買い物の時間は含まれていません。
反動なのか、自分だけだと全然そういう辛抱もきかなくて極端に省略したいと考えちゃうんですよね…。
で、ご飯は炊いたぜ。それに卵と納豆のコラボだけでは叱られるので、熱々ごはんにスライスチーズを乗せて食べた、ちょっとタコライス風だと思いましたので、と白状しましたところ
さっきまで叱られてました
しょんぼり。
ところで。私は過去は『誰かと一緒に飯を食う』のがたいそう苦手で、むろんいまでも名残はありますが…たまにこうしてひとり飯をしてみると湧いてくる感情は
寂しい…
意外です。誰かと楽しい話をしながら食べる飯は、あれほど人嫌いしていた私にとっていま大切なものになっているらしい。人は意図しなくても変わるものだし、意図しても変われないこともあるもんなんですね。トシがいったら素直にそう感じます。言っときますけど1人が悪いとかいうお説教の意図はまるでありませんよー。私です、私自身のお話で、あれだけ1人でも平気と思っていたはずなのに今はこんなに人恋しい私自身が可笑しくてたまらない。むしろ自分は何かしら甘やかされてしまっていて、今更あの時代に戻れるだろうか?と畏れているほどです。