まだ生きています(2度目)
誰がってうちのもるもる、です。
こちらで覚悟をきめ
この辺りでぼやきが始まってますが、このとき、我が家で設定したもるもるの誕生日=7/7(毎年「レタスのおうち」でお祝い)までせめて、などと思っていた頃です。冷静に考えると
誕生日を越した直後にしてやったりという発想って記録以外のナニにも殉じていない気がするんですが、それを望むのってナゼなんだぁ??( ̄ー ̄)
おお、ところが
もるもる介護はまだ続いている
のです。毎日心配を重ねてきましたが、我が家の悪いところというか飽きっぽいというか、
当人(ネズミ)に向かって「生きてる?」と平気で訊く日々が続いています。
日増しに具合が悪くなっていることは分かります。下半身がほぼ動かなくなっています。ガリガリにやせ細って、食の志向が完全に変わっています。今は好むものを食べさせて往生させてやりたい、そんな気持ちで昨日はホームセンターでもるもるのためにおやつを買ってきました。ほぼ
恍惚のひとといった趣で、以前はみられなかった行動を取り人前で落ちるように眠ります。
「死」って何だろうと改めて想う時、自分に置き換えれば。
そうか、誰かから自分が消えることはないという確信、そして誰かが私を受け容れてくれたというゆるぎない自信。そして諦めがつくのかもしれない。浮き世のことにその記憶が薄れても、でもどこかその迎合を約束として共感できるとき、安らかなのかな。
僕は最近やっと自分がそう想うように
誰かが自分のために犠牲になってもと祈ってくれることを知る。
本当に、もるもるが逝くのは。
さほど辛くも何ともない。ヤツがしっかりしているせいか。
仕方ないと思うから、今もるもるが面倒かけることも別に構わないと思う。だってヤツは私より強いと感じる時があるし。
また逢おうね、という気持ちは変わらんのだ。
なのにもしも逝くものが相方だったら
平常心ではいられまい?与えられた時間は気持ちを整理させるに値する。
しかしなー、いつまでこの介護続くんだ?(笑)