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残酷だと泣いたらどんな人が愛してくれるのか。
<クジラ>ウオッチングの観光客の目前で捕獲 知床沖


世界ウルルン滞在記という番組を眺めていたら、ドイツあたりの民家にホームステイした女優が、そこで飼育していた豚を屠畜後にソーセージを作るという。で、その女優が残酷だと泣き出すのだ。

でも私は、この女優のほうが残酷だと感じた。
残酷だと泣いたらどんな人が愛してくれるんだろ。それって私の好みなんかな?
見慣れないことに気分が悪くなることもあろう。そして動物って死ぬと死臭がしたりして、本当に見慣れないモノになる。一見何も考えていないように見える魚だって死ぬときにゴフリ、と息を吐く。命のやりとりって元来残酷なのだ。区分けされてあなたの都合のよい形になって発泡スチロールのパックにキレイに詰められているその肉も魚も、生きていたのだ。

人は植物を含めて生き物の命を奪って生きるという原罪からまぬがれることはできないだろうに。女優が謝らなくてはならない相手はこのステイ先のファミリーであって、いのちそのもの、という観点が本来は多様に語られている=場合により一人歩きしている=ことをちゃんと知らなくてはならない。

だから私は捌きたい。逆にそうしたいのだ。素人が捌かないもの。鳥とか。牛とか豚とか。
色々食べてみたいのだ。命を奪っているけど、そのうえに美味しいのも事実だから。
私もせいぜい魚を釣って捌くが、最初のうちはなかなか口に運ぶのがはばかられるものだ。そしていずれ感覚がマヒする部分もあるのだが、だからといって受け止めている摂理は変わらないという実感もある。釣った命は、そこで死ぬのだ。
詰んだ命はそこで終わるのだ。そして私もあなたもそうなのだ。

そういえば私が以前住んでいた地域では季節限定なのだがイルカを食べる習慣が有って、イルカなんか好きだという観光客をちょっとからかって、では骨まで愛してみるかと店を紹介したら、やんわりとイルカは好きだがそういう愛し方はできないと言われた。

死ぬイルカはイヤかい????

クジラは目の前で捕られないかもしれないけど、
君の乗る舟の下では弱い魚が強い魚に狩られているかもしれないね。
たぶん幻想だけど。
by jaguarmen_99 | 2007-08-26 02:12 | それは一言文句を言いたい
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